12.26.2011

ゼロ地点

なに がないので。 

ボタニカルアートというものは知りませんでしたが、「植物 絵」でGoogleしたら、出てきました。

私は全然違うけれど、なるほどなと。自分がするであろう展開に期待してしまいます。



12.19.2011

道に迷わないで DO NOT GET LOST.

助けられない。

子供の頃の悩みって、とってもよく覚えているけど、えげつないものだった。
今の悩みやむしゃくしゃなんて、心がつぶれそうになるようなものじゃない。
ただ、生活自体が、つぶれそう。今年は変な年だった。今日、金正日が亡くなって。
自分が生きる明日は、どうやってもぎとるのかな。

体とか、そういうの、使い切ろう、孤高にサバイブしよう、って思います。
来月は青森と韓国とマレーシアに行きます。遊びです!



週末に小さくても立派なお嬢ちゃんとつくったお菓子の家。



昨日はハンバーグ。今日は餃子、明日はマグロ納豆丼!

12.12.2011

DAY ○  BY DAY

何年もかけて少しずつ、色々な事を書いたりするのが苦手になってしまいました。

小さな頃は本が好きで。
両親が買ってくれた本のなかにイソップ物語はひとつもなし。グリム童話はスズキコウジが装丁を手がけたのものが全巻。絵本各種。意外にも私の気に入りは細密描写系で、なんども同じものを読んだ。母にも、何度も同じものを読み聞かせてもらったから、内心まいっていただろうと思う。
自分の家にはない、同級生のあいだではやったシリーズ探偵もの(ださい)は図書館で読んだ。
 シリーズもののなかでもホッツェンプロッツは最高に面白く装丁の絵もださくなく、今でも要所要所よく覚えている。食べ物の描写なんか特に。

そんな読書と平行して、私は幼稚園になる前から絵日記を書く事を両親から勧められ、小学校高学年までは続けていたと思う。

中学生のときは誰もがそういう傾向にあるように、私も音楽を聞くようになっていて、その影響で詩をかいた時期もあった。それがまた、内容は無いけれどぽんぽん小気味良いのが沢山書けるので自分は天才かと思っていた。でも内容が無かったから。

 インターネットをするようになってからは日記をブログ風に書いた。
恋人との話や、自分の人生や、とにかくそんなような事を。

そして、何年もかけてそれらは少しずつ密度が減り、言葉が薄くなり、感情が小さくなっていっちゃった。


手仕事が増え、本を読む事も少し減ってきたようだし、なんだか○○○。
自分の感情や情熱は減りも薄まりも縮みもしていない。と思います。
ただそれを、分け合ったりできなくなっているようなんです。


それは困る、というとそんなに困るわけじゃないけど、少し
○ ○○

12.01.2011

ウォーキングリズム

昨日で、個展が無事終了しました。
ショーウィンドーに収まって座っているにはとても長い一週間でしたが、自分の作品を客観的にみることができたかと思います。



作品を買ってもらうという経験からも、自分がこれからどのよう進んで行くつもりなのかと、自問自答する機会を頂いたようです。

線の細い、女性的な絵を紙に描いて喜ばせようか。分厚いカンバスを張って、大きな絵を踊って描くのか。
どちらもでしょうけど。今まで無かった(閑古鳥さえもいなかった)"描きたいもの"がなにかの拍子に大行列になって私にピッとやられるのを待っているようなのです。



とても感謝します。





写真は、伊東と熱海。
目を閉じて赤い月を思い出します。(どんどん事実よりも赤くなってることは自分でもわかるんだけど)


これからも頑張って、色んなエレメントで構成されたいです。